八戸朝市さ行がねが

日本最大級の八戸館鼻岸壁朝市を主に、八戸市の観光、八戸市の郷土料理、食を独自の見解で発信.八戸館鼻岸壁朝市の明細 住所:〒031-0811 青森県八戸市新湊3丁目4-20(八戸水産公社もしくは漁港ストアで検索)開催日時:毎週日曜日の夜明け前から10時位まで(12月31日~3月上旬とうみねこマラソン開催時は休業) 駐車場は無限大に近い程で困る事はありません

2013年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年08月

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八戸市 唯一の吊り橋~母袋子橋~【八戸 謎の観光スポット】





母袋子橋 吊り橋


母袋子橋」(ほろこはし) 2013年4月18日(木)に開通した 市道 西母袋子線
から見える八戸市内唯一の吊り橋でもある母袋子橋だが、橋の向こうは大きな岩の壁が見えるだけで行き止まりにしか見えず何の為の橋なのか以前から不思議に思っていました。


是川 母袋子橋


重量鉄骨に支えられた足場はコンクリート製の頑丈で立派な橋です。
いったい何の為に作られた橋なのか益々謎めいてきます。


吊り橋からの新井田川


岩手県久慈市が源流の新井田川に架けられた八戸市是川の吊り橋。


新井田川に下りられる階段


渡りきると新井田川に下りる事ができる階段が有ります。非常用なのでしょうか。
また行き止まりに見えた向こう側でしたが左直角に道がありました。


東母袋子側 


画像の様にほぼ直角な為、西母袋子線からは行き止まりの謎の橋に見えたのです。


東母袋子から望む新井田川


母袋子橋は西母袋子地区と東母袋子地区に架かる橋で母袋子橋自体は今から90年以上前から存在した吊り橋。


イメージ1
【丸太を杭にした吊り橋】





幅2.5m(目視だと2mも無いような)で車は通れ無い人道橋ですが、90年も前から姿は変わっているものの同地区を繋ぐ唯一の橋で母袋子地区の生活に欠かせない橋だった様です。
当時は木杭を川に打ち、丸太を渡した吊り橋でしたが何度も洪水の被害を受け、そのたびにワイヤーを
張るなど幾度の改良をしてきたが平成5年に洪水で流失。その後、平成7年1月に現在の立派な橋が完成したにも
関わらず4年後の平成11年10月の大雨でまたも破損する被害を受けており自然災害と闘ってきた故の姿が
現在の立派な吊り橋となっているのです。


昔の母袋子橋
【洪水で流される前の母袋子橋】


災害が多い地区であったのか母袋子橋から島守地区へ300m行った先には地獄沢と云われる一帯がありこの場所で遭難、不慮の死を遂げた慰霊碑があります。


八戸是川 地獄沢


何も知らずこの地獄沢に立ち寄ったのですが、
碑文には、この地に3体の御慰霊が鎮座していると書かれています。
私は一つ一つに手を合わせこの場を去りました。
八戸市 旧是川村の地獄沢については割愛させて頂きます。


小学校への道


八戸西母袋子地区を吊り橋で渡り東母袋子へと通じる道を進みますが
道幅は狭く隣は崖でかなり険しい山道風景が強力な印象を受けます。


母袋子橋の先


今にも崩れそうな岩肌が目の前に迫ります。

「このまま進んで大丈夫なのだろうか?」


八戸 是川 東母袋子山道


目の前に迫ってくるあまりの迫力にビビリ引き返したところ母袋子橋の向こう側,西母袋子線の真正面に車を止めて
私をじっと見ている姿が、、、。
ああぁ戻るに戻れなくなってしまった。
精神を何年かぶりに高め気合で進む事と致しました。


東母袋子 山道


この道の感じはマツタケの山道を彷彿させます。と無理に自分の過去の記憶とだぶらせ自分に言い聞かせ
進んで行きます。


是川 東母袋子への山道


進んで行くとやっと風景が変わりました。一瞬、滝かと思ったら側溝から流れる水。
雨の日だったら滝に見えそうです。

何故か人工的な物を見たらホっと致しました。


八戸市 東母袋子の山道


後で知った事ですが、この先に小学校があり、この立派な吊り橋の理由は小学校へ通う児童の通学路の為でもあった様です。という事は黄色い帽子をかぶった小学生がこの道を毎日通ったという事。
進む事を悠長していた私は全く恥ずかしい限りです。
でも雪の降る冬はどうなるのでしょう。


東母袋子への道2


さらに進んでいくと日が当たるからなのでしょうか。何故か草が生い茂り廃道を感じさせます。
でも何故か道の真ん中に草の生えていない一本の線が?
これも後で知った事ですが現在は小学校に通う生徒はおらず郵便配達のバイクが通る位で
この一本線の後も郵便局のバイクが現在も通っている証拠だと思いますが、ここまで歩いてきた
狭いがっけ道をバイクが走っているとは驚きます。


東母袋子への道3


砂利道路に変わり十字路が現れ。


東母袋子山道 2


右は侵入禁止の看板があります。きっとこの奥に採石場が有るのでしょう。


是川東母袋子 山道


左は立ち入り禁止になっています。人は真っ直ぐに進むしかありませんのできっとこの向こうに
小学校があると思うのですがダンプが走っているなら危ない十字路です。昔からこんな感じだったのでしょうか。

ここまで到達するのにパワーを使い果たしたのか、この人工的な砂利道の十字路に到達したら
進む気力を無くし引き返す事に致しました。(私的に時間も無かった)

後で知った、この先に在る小学校にはたどり着けませんでしたがもう一度のぼって見たいと思います。


























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