八戸朝市さ行がねが

日本最大級の八戸館鼻岸壁朝市を主に、八戸市の観光、八戸市の郷土料理、食を独自の見解で発信.八戸館鼻岸壁朝市の明細 住所:〒031-0811 青森県八戸市新湊3丁目4-20(八戸水産公社もしくは漁港ストアで検索)開催日時:毎週日曜日の夜明け前から10時位まで(12月31日~3月上旬とうみねこマラソン開催時は休業) 駐車場は無限大に近い程で困る事はありません

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八戸藩を支えた大野鉄山 たたら製鉄





八戸公園(こどもの国)のある県道11号(久慈街道、今は八戸街道と呼ぶ?)を洋野町、
旧大野村を目指して道なりに進むと30分程で十字路の様な丁字路に突き当たる、
その丁字路をコンビのある右側に曲がり道なりに突き進む。
間違えて左に曲がればすぐに橋がありそのまま進めば海の有る種市へ、間違わなければ
グーグルマップの目印、菖蒲澤オートサービスの看板が見えてくる。

11号を道なりに突き進むと信号があり右に曲がると九戸街道になるがその通り沿いに
大野鉄山と呼ばれ八戸藩の財政を支えた鉱山跡がある。

大野鉄山 源田

神風鉱山とまで呼ばれた青森の上北鉱山クラスならネットで調べれば色々と調べることが
出来、調べているうちに秘湯中の秘湯「田代元湯」などが出てきて行ってみたくもなる訳ですが
八戸からは近いともいえるがちょっと遠いし上北鉱山までのルートはかなりの悪路らしいので
行きたいけど行けてない状態がもう何年も続いています。

そんな中、八戸市博物館で八戸藩は江戸時代に鉱山が栄んであったと知ったのです。

[大野鉄山]

現在の洋野町大野を中心とした大野六カ鉄山が当時の八戸藩の財政を支えていたと
いう。そんな鉱山が近くにあったとは驚いたが江戸時代の日本において鉄の主な産地は
中国地方の出雲と東北地方の南部が2第産地であったことも驚きだった。

土と混じった砂鉄を採り出した後、水路に流し込めば重たい砂鉄は下に沈み軽い
泥はそのまま流れて行く、沈んだ砂鉄を取り出し高温の炭火で溶かして製鉄にしたのが
[たたら]製鉄と云うらしい。


大野鉄山 地図
[八戸市博物館展示]

江戸時代の八戸藩、大野鉄山周辺の地図が八戸博物館に展示されていた。

赤丸は鉄山跡になるが白丸は[松館] 前回紹介した現在稼働中の八戸鉱山。
黄色丸は[碁石村]と書いてあるので個人的に気になった。
久慈市を代表する碁石中華麺は碁石村が発祥の地なのだろうか。


大野鉄山 旧道


舗装された山道を走っていると時々、車一台分の幅で草ぼうぼうの昔の道であったで
あろうみたいな感じの、この道はどこに行くのか、何のためにあるのか見たいな脇道があったりする
、それはもしかしたら鉱山跡地へと続く道かもしれない。


大野鉱山への道


いばらの道を突き進めば徐々に道が開けてくるが
かなり足場が悪い。


マンガン鉱山


この平たい石に足を踏み込むと簡単にずれ、滑って前に進むのが困難


大野鉄山 鉱石


ふと、この滑る石を確認したところ、横に走る黒い斑模様が鉄、砂鉄なのだろうと思って
しまった。だとしたら江戸時代の鉱山従事者は、この石状態の鉱石をなんらの方法により
砕いて川に流し沈殿した砂鉄を取り出していたことになるがそれで正解なのだろうか。

大野鉄山がよく分からない為、複数の町民に聞いてみたが
「よく分からない」という返事が殆どであった。(江戸時代の事なので当たり前か)
しかし、興味深い話も聞けた。

「昔、久慈まで運ばされた」
昭和まで稼動していたという事なのか?

「あそこは松根油をとっていた所だ」(ページTOP画像)

「松根油」戦争末期、燃料の無い日本が松から油を取り出し戦闘機等の代替燃料に
しようとしたが結果、使われなかった燃料らしい。
松根油


大野鉱山跡 事務所


「あそこは松根油をとっていた」 という住民の話が気になった。
確かに鉱山跡地には朽ち果ててはいるが事務所らしき建物が残っていた。
朽ち果ててはいるがどう見ても江戸時代のものではない事は容易に分かる。


高森鉱山
「高森鉱山」


鉱山跡地には複数の洞窟が確認できるが見るからに固そうな
岩盤を江戸時代の人はどうやって掘り進んでいったのだろう。

また住民の一人は「あそこはマンガン鉱」とも言っていた。
江戸時代は砂鉄を堀り、それ以降は鉱石を採掘していたのだろうか。
その辺りが調べても良く分からない、謎が謎を呼ぶ。

高森鉱山 鳥居


高森鉱山跡には現在も朽ち果ててはいるが鳥居が現存していた。









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| 八戸探検シリーズ | 18:18 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

最近

Yahoo!ニュースで八戸の話題が立て続けにあって嬉しく思うこの頃です。ウミネコの記事と自分は知らないですけど「メドツ」?!の看板の記事。

この探検もそうですが、若い頃は、「こんな小さな田舎早く出てやる!」って思って出たものの八戸に関して知らない事もまだまだ有るんだなと‥‥

そろそろ朝市も始まりますね!またブログ楽しみにしてます。

| 八戸から | 2015/03/02 17:48 | URL | ≫ EDIT

Re: 八戸のメドツがでるぞ看板

> 八戸からさん、コメントありがとうです。
> yahooニュースにウミネコが蕪島で越冬した事と「メドツ」まで出ていたのですか、知りませんでした。
> 茂みの中にひっそりと存在したメドツの看板は草刈、芝刈りが行われ重機による整地のおかげで目立つ様になり
> いつ撤去されるのか分からない中、今まさにその存在感を増している状態です。googleストリートビューにまだ画像が残っている様です。
>
> https://www.google.co.jp/maps/@40.499752,141.504993,3a,68y,241.99h,79.42t/data=!3m4!1e1!3m2!1se6GxxfjjB8YP_MvBOrmUFw!2e0
>
> 私も10年以上都会にいましたが都会より田舎はやっぱりのんびり感があり良いものですよ。
> 最近、年のせいか歴史に興味が出てきてこんな記事が多くなるかもしれませんが、もちろん
> 朝市にも行く予定ですので今後とも宜しくお願いします。

| いかさば | 2015/03/03 20:10 | URL |















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